神戸市垂水区 内科・小児科・消化器科 洪南クリニック

夕陽妄語 エッセイ集

過去の夕陽妄語⇒
わが町、塩屋北町
2008/10/17(金)
神戸市垂水区は人口が約22万人で、市内では西区、北区に次ぐ人口です。西区は昭和57年に垂水区から分区されました。
垂水の名前の由来は、塩屋から東垂水辺りでは山から海へ複数の滝が存在した事によるものだという事です。
「石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(志貴皇子)実際、車で塩屋から東垂水の間の2号線を走ると、すぐ横に海があるように見えます。台風の時などは2号線まで大きな波が押し寄せてきますので、子供を須磨駅まで迎えに行く時、流されそうになったこともあります。
垂水区の中でも塩屋地区は最も東に位置しており、塩屋北町は塩屋地区の山手にある、と言えば聞こえはいいのですが、交通便はあまりよくありません。
ただ後に述べるように、すぐ近くに山があり、町を貫く道路や各家庭からも明石海峡大橋が見えます。
1.いかなごについて
「春はセンバツから」という標語がありますが、塩屋の春は「イカナゴ」から始まります。選抜高校野球より少し早い2月下旬頃から垂水漁港にイカナゴが水揚げされます。この頃になると、当地、塩屋北町も各家庭で一斉にイカナゴのくぎ煮が始まります。イカナゴを炊いたおばさん、おばあさん達がクリニックに入って来ると、その匂いですぐ分かります。
イカナゴのくぎ煮作りはたいそうな労働で、あとで腰が痛い、肩や手が痛いと言って来院される方もおられます。私は以前これを「イカナゴ症候群」と名付けたました。
母親が存命だった時は例に漏れず、イカナゴを炊いて唐津の田舎にも送っていましたが、今はうちの家内は作りません。しかし、ありがたい事に、患者さんでもあり、母親の友達でもあった近くのおばあさん達から、今でもお裾分けをいただいています。各家庭で味付けが違うのも楽しいです。
2.    旗振山
さて、小生の自宅兼クリニック(神戸市垂水区塩屋北町)から南東方向を見ると、すぐ目の前に旗振山(標高252m)が見えます(写真1:左手前が私の家のベランダ)。クリニックから山頂まで直線距離で約1000mくらいです(写真2)。近所の住民の方達(お年寄りも含め)は毎朝のように旗振山に登る人が多く、ゆっくり歩いても20~30分くらいで山頂に着きます。患者さんの中には、登山を済ませてから当クリニックに来院される方も多いのです。小生も時々ではありますが愛犬を連れて登る事があります。意外に急峻ですが、ゆっくり登れば脚を痛める事もなくちょうど良い運動になります(写真3、写真4)。
旗振山の由来は、大坂の米相場を旗で播州地方に知らせたとか、逆に播州の米の収穫を大坂へ連絡するために旗を振って知らせたとか、いろいろ説があります。私は後者のほうが真実ではないかと思っています。というのも大坂は天下の台所で、播州地方の米の出来具合が相場に反映するので、少しでも早く収穫の程度を知りたいと考えていたのではないでしょうか?
3.    鉢伏山
旗振山から少し南に歩けば鉢伏山に出ます。鉢伏山の名前の由来は、神功皇后の朝鮮遠征の帰途、この山に兜の鉢を埋めた事に由来するとか、海側から見ると鉢をひっくり返して置いたように見えるとか、様々あるようです。実際、鉢伏山は、神戸沖の船上からでも、あるいは明石海峡大橋からでも、あるいは神戸の市街地からも、神戸の山並みの西端にもっこり出ているので、すぐわかります。鉢伏山は山が海岸線近くまで迫り(山陽電車の須磨浦公園駅当り)、地形的に大阪平野から続く神戸市街地と、そこから西側を明確に区別しています。なるほど、一昔前は鉢伏山を境にして、東は摂津で、西は播州でした。よって現在の神戸市垂水区(西区も)はもともと播州地方に所属し、明石村の一部でした。小生は播州弁はしゃべりませんが。
鉢伏山を中心とした須磨浦山上遊園は春の訪れとともに梅が咲き、桜が咲き、ひとときその話題で待合室が盛り上がります。来年の春には是非一度訪れてみて下さい。特に梅の開花時は最高です。
4.義経について
義経の「逆落とし」で有名な一の谷の古戦場は、現在の須磨浦公園あたりです(写真2)。義経軍は、おそらく現在の須磨浦公園駅から鉢伏山に登るロープウェイに沿って駆け下りたのではないかと想像します。義経軍は京都から丹波篠山に出て、平氏軍を撃破しつつ、鵯越に出ます。ここで義経は軍を二手に分け、一手(安田義定ら)は夢野から福原へ攻め(図1)、義経はわずかな手勢を引き連れて山中を通り、鉄拐山に出、旗振山から鉢伏山に。夜間に乗じて一気に山を下り、海岸線(須磨浦公園あたりだろう)に陣を張る平家軍を急襲し、壊滅状態に陥れたのでしょう。
平家は当時、福原に主陣営を置いて、それを取り囲むように生田、夢野、一ノ谷に防御陣を築いていたといいますから、義経の進攻作戦はその情報を熟知して的確に行なわれたと思われます。たいした情報力です。しかし、軍事面では天才であった義経は、政治的、政略的には全く無知であったがために、その最後には悲劇が訪れる事となります。そのため義経は「判官びいき」と言われるように、日本人の心の琴線に触れる悲劇のヒーローになったのですが、あるいは今の言葉で言えば、世間知らずの単なる「軍事オタク」だったかもしれません。
5.    六甲山縦走について
六甲山縦走の出発点は、須磨浦公園からスタートするケースと、塩屋から旗振山を登って鉢伏山に出るケースがあります。多くは前者からの出発でしょうが、時に小生のクリニックの前を通っていく登山者もいます。
小生は大学生の時によくハーフ縦走をしました。その当時は神戸市主催の六甲山全縦走はまだ行なわれていませんでした。ハーフ縦走のひとつのコースは、須磨浦から須磨アルプスを越えて菊水山を経て大龍寺まで出るコース(須磨アルプスについては、医師会報5月号で横山裕司先生が紹介されています)。大龍寺の近くの修法ケ原で遊び、森林植物園を散策し、そこからバスで三宮に帰る。夕方には三宮に着きます。お金もかからないし、貧乏学生にはぴったりの楽しいデートコースでした。
もう一つは神戸大学医学部から近い諏訪山公園から再度山の大龍寺を目指し、そこから摩耶山、六甲山を縦走し宝塚に出るコース。これは結構体力のいるコースですが、途中で飯を炊いたり、ちょこちょこ休憩をとりながらマイペースで行けば、それほど体力のない人や家族連れでも可能だと思います。ただ、半縦走であっても、このコースはのんびりしたペースで行けば、朝早く出ても宝塚につく頃には夜になってしまいます。
必死でタイムを競うというのは自分のライフスタイルに合いません。マイペースで半縦走×2か、四半縦走×4にでもトライしたいと思っていますが、果たしてこれもいつ実現する事やら。縦走後はゆっくり宝塚温泉で湯につかって美味しいものを食べればそれもいいかなあと思っています。いつもながらの怠惰な自分でした。

Copyright (c)kohnann-clinic.com. All rights reserved.